第2回

2011年1月27日 丸尾哲也・菱川貞義

びわこ市民研究所の活性化に向けて

〔はじめに〕
 びわこ市民研究所は、滋賀県−NTT共同プロジェクトの一環として、2001年8月から始まり、2003年の12月に一度終了した。その後、2004年4月に、参加メンバーの自主的な活動として再出発を行い、現在に至っている。
 ただし、再出発後は活動基盤が共同プロジェクト時に比べて脆弱であったため、更新頻度が少なく、コンテンツによっては開店休業状態になってしまっていた。
 今回、色々な事情により、活性化、ある意味で「再立ち上げ」を行うことになった。この再出発にあたり、主要メンバーである、菱川・丸尾が議論を行った。


〇議論を始めるにあたり

(丸尾)
(読者に向けて)びわこ市民研のサイトにいつも訪れていただき、大変ありがとうございます。実は、多くのコンテンツが開店休業状態とはいえ、いまだに1万/月を越えるユニークユーザの方が市民研のサイトを利用していただいています。

人口130万人の滋賀県を対象とした地域メディアとして考えても、かなりのアクセス数を誇っているという自負もあります。なので、「再立ち上げ」などというのも、読んでいただいている皆様に失礼な話なのかもしれませんが、、、、まあ、いろんなきっかけがあって、もう一度市民研の活動を活性化させようと。

 で、びわこ市民研の昔からの方針で、事務局が考えていることを隠さず素直に情報発信しよう、ということになっています。そこで今回の再立ち上げに際しては、事務局のなかでもコアメンバーである、菱川、丸尾の2名で、何ゆえいまさら、市民研の活動を再活性化させるのかとか、今度は何に向かっていこうとしているのか等々について議論をしよう、というのが今回の企画です。
たぶんいろんな話題に発散したダラダラとした話になるかと思いますが、もし、ご興味があるようでしたら、お付き合いください。

 

(菱川)
(読者のみなさんへ)最近の自分の仕事の中で、びわこ市民研の活動は最低限のことしかできず、多くのコンテンツが開店休業状態になっていました。それにも関わらずコンテンツを投稿をしていただいている方々や、サイトに訪れていただいているみなさんには本当に感謝しています。

 2001年の立ち上げ以来、私自身、びわこ市民研という活動に大きな魅力を感じていて、機会があれば再度活発化させたい、と思っていました。


〇菱川の思い
 今回の再立ち上げには、結局のところ、市民活動・NPO活動というものが、びわこ市民研を開始した当時に比べて盛んになってきたというか、ごく当たり前の存在になったことが大きいと思います。企業もCSR(企業の社会的責任)として市民・NPOと協働するケースが多くなってきています。実は、私の会社(広告会社・大広)でも、CSRのビジネス化検討部門(275(つなご)研究所)というものを立ち上げてビジネスを開始しています。そういうものともうまく関係させていきたい、と考えています。


(丸尾)
 確かに、市民研を開始した当時は、NPOっていう存在自体が珍しいものだったので、なぜそんなことをわざわざやるのかという説明をするのにさえ苦労しましたね。そういうのに比べれば、今はNPO活動というのは本当に当たり前のようになっている。
 しかし、だからこそ、意地悪い言い方をすれば、なにゆえ、いまさら市民研を再活性化するのか、という問いに答えなければいけない。琵琶湖の環境を守るために琵琶湖の周りのNPO活動を活性化させていくという当初の目的は、ある意味達成できたのでは、とも思えます。市民研がそれにどの程度寄与したのかはわからないけれどね(笑)。
 それに当初は、今でいう、ソーシャルメディアっぽいサイトの作り方が各方面から注目を浴びたこともあるのだけれど、今は、ソーシャルメディア花盛りなので、特に市民研のやり方じゃなければならないというものでも無いという可能性もある。そのあたりのことをどのように考えていますか。

(菱川)
 NPOというものが言葉とか概念とかで定着したとしても、実際のNPO活動がうまくいっているとはいえないと思います。NPO活動全体としてみて、特定非営利活動法人法の成立で一時は盛りあがったけれど、今は踊り場のようなところにいるような気がします。
 それに、丸尾さんは、市民研が滋賀県のNPOにどのくらい寄与したのかわからない、といいましたが、滋賀県の環境NPO活動のひとつのピークは、今から思えば2003年の世界水フォーラムの時であって、あの時にNPOの横の連携を育んだ市民研の役割はひじょうに大きかった、と自画自賛してもよいのではないでしょうか。今は、残念ながら、NPO同士がつながって何かをしようというエネルギーが弱まっているような気がします。そしてそのことが、NPO単体のエネルギーをも弱めているようにも見えます。
 ですから今も、いや、今だからこそ、びわこ市民研の基本的なコンセプトである、「戦略的おせっかい」という考え方が必要であって、もう一度その有効性を証明していきたい、と思います。NPO単独ではうまくいかなくても、市民研が外部からおせっかいにも手伝うことで、うまく「つなぎ」をつくって回していく仕組みです。

(丸尾)
 「戦略的おせっかい」というのは、菱川さん独特の言い回しですね。わかる人にはわかるけど、わかんない人には全然わかんないという(笑)。だからもう少し説明して欲しいのですが、例えば、最近また流行しているピーター・ドラッカーは、非営利活動団体こそがマネジメントが必要である、といっているわけですが、特に、日本のNPOにはマネジメント能力が不足しているということは良くいわれることで。そういうやり方でNPOを支援する、ということですか?

(菱川)
 地域社会で活動しているNPOには、マネジメントという考え方が不足していることは確かですので、そういう面をサポートする必要はあります。ですが、それだけじゃないです。マネジメントというカタカナ言葉でいうよりももっと日本的な営み。いろいろな人と人、人と活動、活動と活動をつなげていくこと。ビジネス的なつながりというわけではなくて、もっと大切なつながりを作り出していく。

(丸尾)
 もともと、地域社会につながりを作り出すということが市民研の基本的なコンセプトだったですよね。これも、市民研を立ち上げた時には、理解できる人には理解できるぐらいのコンセプトだったのが、今は、いろいろな社会問題の発生もあって、社会につながり、絆を作り出そうなどというのが、一種の流行になりはじめている。

(菱川)
 結局、経済的・ビジネス的なものを発展させていくだけでは、社会は良くならないのではないか、とみんなが思い出してきた。もちろん経済は必要なのですが、それはほどほどにして、みんなが助け合って生きていくようなつながりを作り出していく。私はそれが当たり前の社会だと思うのですが、そういったことが見直されてきているというのは非常に良いことだと思います。
 けれども、現段階は、世の中がそうあって欲しいと思い始めた、というだけで、具体的にそういう社会を実現していく方法が明らかになっているわけではない。下手をすると「昔は良かった」などという話に終わってしまうかもしれない。ですから、そういうスローガンで終わらせるのではなく、現実の社会で具体的なつながりを作り出し、それが有効に機能していくことを証明していきたい。さらに、そういった、つながりを作り出すための方法を世の中に広げていきたい、と考えています。

(丸尾)
 これも、あえて嫌な質問なんですが、流行りのソーシャルメディアというのも、人と人のつながりを作る、なんていっていませんか。

(菱川)
 先ほどまで言っていたことと違っているように聞こえたらすみません。と先に謝っておきますが、人と人をつなげればそれでうまくいく、というのはとても薄っぺらな話だと思います。人と人がネットで話をして知り合いになって、それで、後はうまくいく、というものではないです。つながりを強くすれば良い、というのでもなく、たくさんの人とつながれば良い、というのでもなく。
 例えば具体的な事例をいいますと、もともとNPOというのは、ある社会課題を何とかしたいという人が集まって出来るもので、その時点では、当たり前に人と人のつながりが形成されていきます。しかし、いったんNPOという組織ができあがると、組織が固定されがちになり、どんどん内向きになっていってしまって、結局、地域社会から遊離してしまうことも多い。

(丸尾)
 そうなんですよね。特に地域社会で活動しているNPOって本来は多数の人たちの参加が大前提なんですけれど、しばらくするとどんどん内向きになって、活動がそれ以上拡大していかないことになるケースが多いのですよね。なぜ、なんだと思います?

(菱川)
 簡単にいってしまえば、やはり日本社会においては、ある集団が外とコミュニケーションする、ということには大変なエネルギーを必要とする、ということ。そしてNPOの人たちは「つながったほうがいい」と思っていても、そんなことに大変なエネルギーを使うためにNPOをやっているわけではないので、どうしても好き(?)なことのほうに力を入れてしまう。だから、そのエネルギーの要る部分を市民研が手助けをして、どんどん積極的に外部の人たちと交流していくような仕組みが必要になってくるのです。そういうコミュニケーションの担い手のことを私は「つなぎ手」と呼んでいます。
 この辺りのことは、本当は丸尾さんがお得意なのではないですか?


〇丸尾の思い
(丸尾)
 確かにこれからの話は私の思いを聞いていただいてからのほうが良いかもしれませんね。
もちろん、びわこ市民研というものを滋賀県との共同プロジェクトとして行ったのは、ITを環境保全に利用することの有効性を証明したいというものでした。ただ、まあ、それは、いまさらいうまでも無いことなので、もうひとつの隠れた目的について話をしたいと思います。


 私はこの春にNTTを退職しましたが、NTTの研究員としてかなり前からインターネットの世界を見てきたわけです。最初っから、なぜ、日本人はアメリカ人に比べてインターネットの活用が下手糞なんだろうという素朴な疑問があった。1990年代なら、単純にインターネットが普及していなかったからという理由もあったのかもしれないけれど、20年もたって未だに新サービスはアメリカの後追いってとても変だと思う。少なくとも技術やコスト面では全然負けていないのに、アイデアとか実行面とかでどうしても負けてしまう。ですから、これは私だけの思いなのかもしれないけれども、アメリカ人の思考方法だとかコミュニケーションのやり方、文化、宗教、等々がインターネットというものに合っているとしかいいようが無いのですよね。
 なので、とても大それた思いなのかもしれないのですが、日本人にあったインターネットの利用方法を見出したいというのが、びわこ市民研というプロジェクトを開始したもうひとつの目的だったんです。

(菱川)
 アメリカと日本の比較論というのはひとつのやり方だと思いますが、時々、結論ありきの話になるので、注意したほうが良いんじゃないですか。

(丸尾)
 いや、まさにそうかもしれません(笑)。ただ、まあ、昔から、ITの話に限らず、ビジネスの話でもそうですが、「だから日本人ってダメなんだ」という結論をする評論家の人って多いじゃないですか。そういう人は結局、日本人が遅れているという固定観念が前提にあって話をしている。遅れているのじゃなくて、違っているからじゃないの、と反発を覚えるのは私だけではないですよね。

(菱川)
 それは私も大いに覚えます。日本人には日本人の良さがあり、それを活かすことがとても重要です。でも、グローバルな時代に、日本人だけに通用するものを実現してもダメなんじゃないかという議論がいっぽうである。

(丸尾)
 確かに、携帯電話なんかは日本人好みのものを作っちゃったから世界に広まらなかったというようなことはいわれていますね。でも、マンガ・アニメなんて、もっと日本人的だとしか思えないようなものが世界中に拡がっているのも確か。
 結局、ニーズがあれば、少々国民性が違っても世界中に拡がるのですよ。だから、戦略として考えれば、日本人が得意、でも外国人にも何とか受け入れられるようなものを世界中に拡げれば、それだけ日本人に有利なビジネスが展開できるはず。それがインターネットという技術やサービス全体においてアメリカ人に上手いことやられちゃっているのが実情じゃないか。
 インターネットというのは単なる技術なわけで、その使い方を工夫することによって日本人がもっとしっくりするものを作っていけるのではないか、というのが私の思いです。

(菱川)
 なるほど。丸尾さんの言いたいことはわかります。では、具体的に、アメリカ人と日本人のコミュニケーションのやり方の違いって何ですか。

(丸尾)
 そうですね。それについては、1990年代くらいから、文化人類学とか文化心理学とかというような分野で、国民性によってコミュニケーションのやり方が違うという研究結果があります。最近、増田さんという方が「ボスだけを見る欧米人、みんなの顔までみる日本人」という本を出していますが、この本によると、欧米文化圏では「分析的思考様式」つまり、気になる物の一点に注目するという物の捉え方をするのに対して、東アジア文化圏では「包括的思考様式」つまり、全体のさまざまな関係性から物事を捉えようとする傾向があるとされています。
 これだけじゃ、何のことやらわかりませんので、例えをいいますと、本の題名にもなっているように、ボスと自分が話をする時に、後ろに同僚が何人かいてボスと自分との会話を聞いているというシチュエーションがあったとします。そして、ボスは笑っているのだけれど同僚は怒っているように見えたとする。そのとき、欧米人はボスが笑っているのだから素直に笑っていると解釈するのだけれど、日本人は単純にはそう解釈しない。

(菱川)
 それは、かなりわかるような気がしますね。ボスは愛想笑いしているんじゃないかとか、何かみんなで自分を騙そうとしているんじゃないか・・・とか。ボスは、本当は何も思っていないのかもしれないのだけれど、周りの様子を見て、どうしてもそうやって深読みしてしまう。

(丸尾)
 その実験では、被験者の視線も分析しているのですが、アメリカ人って周りを考慮しないのではなくて、本当に周りを見ずに対象の人だけを注視する。日本人は、逆に当たり前のように相手の後ろを見てしまう。つまり、考え方の違いなどという表面的なものではなくて、もっと奥深い行動様式なもので異なっている。
 もうひとつ別の例でいえば、テレビゲームの例なんですが、欧米では、自分がゲームの中に入り込んでいる、つまり、画面が自分の眼でみた一人称的な風景になっているシューティングゲームのようなものが好まれる。それに対して、日本では、主人公である自分を三人称的な視野で捉えるロール・プレイング・ゲームのようなものが好まれる。

(菱川)
 すいません。僕はあまりゲームをやったことが無いので、その辺の違いがしっくりとはこないのですが、何となくはわかります。つまり、日本人というのは全体の中で、自分や周りの人の位置関係のようなものが明確になっている状態を好む。でも、それって、世代の違いにもよりませんか。年配の方はそうだと思いますが、若い人はシューティングゲームのほうが好きだったりして。

(丸尾)
 まあ、増田さんの話はれっきとした実験結果なので、それ以上の拡大解釈をしてはいけないと思います。ですから、これからは私の意見ですが、しばらく前にKYという言葉が若者を中心に流行りましたが、あれなんかも、まさに、包括的思考様式じゃないかと。KYということは全体を見ずに行動する(してはいけないから空気を読め)ということですよね。アメリカにKYという言葉に相当する概念があるのかどうか良く知らないですけどね(笑)。

(菱川)
 なるほど。若い人のほうが、むしろ、周りの眼を気にするのはその通りかもしれませんね。
 まあ、丸尾さんの言っていることは本当にその通りだと思いますよ。結局、人は、いろんなつながりやしがらみの中で生きているわけです。私はアメリカの人のことは良くわかりませんが、日本の地域社会で活動しているNPOの人と話をすると、単にそのNPO内部のつながりだけじゃなくて、その人の地域社会のつながり・しがらみの中で、自分の活動がどのように思われているのかを気にしているような人がとても多いと感じます。もちろん、そうじゃない人もはっきりといますが、その人は、地域社会の中で「変わり者」扱いを受けちゃったりしている。ちゃんとした(?)大人ならば、NPO活動だけでなく地域社会との関係もそれなりにうまくこなさなければいけない、などということを、自覚しているし、周りからもそれを期待される。

(丸尾)
 いやあ、面倒なコミュニケーションですよね。日本人って(笑)。
だけれども、もう一度いいますが、それが古いとか劣っているとかじゃなくて、それが日本人もしくは東アジアのコミュニケーションの特徴だということです。物事を包括的に見て全体を考えられる。全体の中の自分や他人を第三者的な視点で捉えられることができるということは、むしろ長所といってよい。まあ、それ故の短所ってのもいろいろあるんでしょうけれど、だからといって日本人のコミュニケーションそのものを否定するのではなく、短所を減らして長所を増やすための方法を考えるほうがよほど生産的なのではないかと思います。
 例えば、先ほど菱川さんは「変わり者」扱いを受ける人がいるとおっしゃいましたが、それが日本文化の奥深いところで(笑)、地域社会で「変わり者」扱いを受けるということは、本当はそんなに悪いことではなくて、変わり者は変わり者としての存在価値というか役割が与えられたりする。確かに、今はそういう人を排除してしまうのが社会全体の雰囲気として強いのかもしれませんので、そういう風になってしまうと「変わり者扱い」というものは短所ということになってしまうのだけれど、そういう異端者をうまく利用して長所にするという知恵が日本社会に無かったわけではない。

(菱川)
 たぶん、それと似たようなことだと思うのですが、地域社会のなかで本当に貢献的な活動をしている人の中には、自分が目立つことをとても嫌がる人は多いです。結果的に目立ってしまうことはしようがないとしても、自分から積極的にはアピールしない。企業なんかでも、今はCSRなんていってますが、昔から社会貢献を地道にやっているところは多い。でも、そういう企業に限って積極的にはPRしてこなかった。担当者が「もっとPRしたい」といっても、社長が「止めろ」っていう。

(丸尾)
 そういう日本人の行為を否定的に捉えると、「出る杭は打たれる」から、でしゃばらないからだということになりますね。でも、肯定的に捉えると、「自分は全体の中の一員なのだから、自分の貢献もその一部にすぎない。自分だけが褒められたくは無い。」という意思の表れということになる。滋賀県得意の「三方よし」という考え方も、一部を良くするのではなく、全体を良くするという意識の表れですよね。

(菱川)
 そうすると、丸尾さんは、昔ながらの日本人らしいコミュニケーションを取り戻したい、ということですか。

(丸尾)
 「昔ながらの」という言葉は誤解が生じると思います。昔に戻りたいのではなくて、新しい技術や考え方をどんどん取り入れながら、コミュニケーションの形は変わっていくべきではないのでしょうか。ただ、それが、「日本人らしいもの」であるべき、ということですね。
 例えば、周りを気にするというのは地域社会だけでなく、日本の企業の中でも全く同じですよね。欧米人なら、仕事とプライベート、仕事の中でもプロジェクトごとといった形で、ひとつひとつの仕事を上手く切り離して考えるから、それぞれの責任や役割分担もはっきりするし、意思決定も早い。ところが日本企業は、それらが全く渾然一体とするから、誰が本当の責任者なのかもわからないし、意思決定も遅い。これはもう、全くの欠点であるわけです。
 だけれども、その欠点を「全体を見通して」だとか「長期的に見て」だとかという視点で見ると逆に長所になるはずですよね。となれば、そういう包括的な部分を支援できるようなものを作り出していく・・・というのが、ひとつのテーマであると考えています。

〇これまでの市民研(何を達成できたのか)
(菱川)
 ちょっとまとめると、丸尾さんと私は、異なった考えから入ってきているんだけど、琵琶湖の環境を守るための地域社会全体のつながり、それも日本人的なコミュニケーションを作っていきたい、という思いは同じですよね。で、結局、我々は今まで、何を達成してきたんでしょうか。

(丸尾)
 もちろん、まだまだ不十分なのだけれど、琵琶湖の周りの多様な市民活動、NPO活動をネット上で紹介し、かつ、そういう人たちのつながりを作り出してきた。まさに日本人的な発想なのかもしれませんが(笑)。

(菱川)
 と同時に、そのための手法というか、具体的なやり方をいろいろ見出してきた、ということだと思います。ひとつのやり方は、やっぱり、活動している人の「思い」を伝える。また、思いといっしょに「人となり」のようなものも伝える。そうすることによって読者の「やってみよう」という意欲を引き出してきました。「やってみよう」というのは、「活動している見知らぬ人とつながって参加してみる」という、かなりハードルの高い行動のことです。これは特に、大学生のような若い人たちと、地元のオジサンたちとの交流を始めるきっかけとしてとても有効でした。
 例えば、東近江水環境自治協議会では、市民研がかかわる前からヨシ舟をつくって浮かべてみよう、という計画があったが具体的にはあまり進んでいませんでした。だけど市民研とつながってから、あれよあれよという間に、県内外の大学生とつながったりして、そのプロセスを市民研で報告しているうちに、どんどん計画が膨らんで、ヨシ舟を浮かべるだけでなく、無謀にも外海(琵琶湖)に出て沖島までのレース大会をやったり、西の湖から淀川下りをしたり、ついには御堂筋パレードに参加してしまった。

(丸尾)
 琵琶湖の周りの活動について、包括的なものの見方で支援する。先ほどのゲームの例えでいえば、市民研というのは、ロールプレイングゲームもしくはオンラインゲームのようなサイトなんだと思います。もちろん、全くそんな見栄えにはなっていないのだけれど。実際にプレイが行われているのはリアルな琵琶湖の周りの社会。市民研というのはその一端しか情報として提供していない。でも、ロール、つまり、全体から見て、市民研のサイトに登場する一人ひとりの「役割」みたいなものが何となく理解できる。だから、それに参加しようとする人は、自分の役割は何なのか、自分が何をして良いのか、誰とつながるのが最も良いのか、そういったものが、何となく理解できる。私はこれもひとつの日本人的なコミュニケーションのあり方なんじゃないかなと思ってます。

(菱川)
 参加者の方に聞いても、「知らない人から「会いたい」といわれて理由を聞くと、市民研サイトを見たから、というケースが多い」とか、「あるNPOとつながりたいと思っていても難しかったが市民研をきっかけにつながることができた」というような人がけっこうおられました。おもしろいのは、「なぜ、つながりたいのか」という明確な動機はあまりなくて、つながってから何をしたいのか、についても、「ともかく会ってから、参加してみてから」という軽い感じが特徴でした。
 このようなことからも、市民研的な「なんとなく」とか「ほどほど」とかというのがとても重要だと思っています。
 あなたの役割は〇〇です。あなたは◇◇です。だからうまく□□をやるためにつながりましょう。じゃなくて、市民研ネットワークの中で、自分で自分の役割を何となく見つけて全体の一員になっていく。つながりを作る、といっても、最初から、ある目的のために「さあ、つながりましょう」というのじゃなくて、おもしろくなりそうだから、とか、軽く始められそうだ、と感じてもらえる情報を発信することで、少しずつ自然に関係が作られていくようにする。

(丸尾)
 もうひとつの市民研の特徴は、ネット上のみでなくて、リアルな活動も含まれているという。

(菱川)
 私は自分(つなぎ手)のことを「ただの虫」といっています。益虫じゃなくて害虫でもなくて。その地域の人々にとって益にも害にもならないのだけれど、居ても居なくても特に意識もされないのだけれど、でも、なぜか必要な存在・・。

(丸尾)
 いやまあ、菱川さんが自分のことをどのようにいおうが自由ですが、とても、「ただの虫」というには熱い思いを持ってらっしゃるとは思いますが(笑)。
 まあ、でも意味はわかります。究極の包括的思考というか、いろいろな人の活動に影響を与えない、邪魔をしないのだけれど、全体的にはそれがうまく流れるように少しずつコントロールしていく。かなり難しい話ですけどね。

(菱川)
 う〜ん。難しいのは、実際に行動すること以上に、市民研の話を人に説明することのほうがすごく難しい。でも本当にいえることは、つなぎ手は地域社会の人々に素直に受け入れられてきた、ということです。だからこそ、市民研のやり方はとても有効に地域社会に働きかけることができた、と思っています。大変なわりに、とても儲かりそうにないやり方ですけどね。
 
〇我々は何をめざすのか
(丸尾)
 では次に、我々はこれから何をめざすのかについてですね。まず、今までのものは継続するということで良いですよね。
 今、開店休業状態になっているコンテンツについては、参加者のみなさんにもう一度継続しても良いかどうか聞く必要があると思いますが。

(菱川)
 実は、新しく参加したいという方が何人かおられるのですが、具体的にサポートできずにいました。そういう人たちにも、これを機会にもう一度声をかけたいと思いますし、これからは、どんどん参加を受け付けていこう、と思ってます。
 その他のコンテンツはどうしましょうか?例えば、SNSとかツイッターのような仕組みは取り入れたほうが良いと思いますか?

(丸尾)
 うーん。使い方次第ということなんじゃないでしょうか。先ほどからいっていますように、びわこ市民研というサイトは、ロール・プレイング・ゲーム的なもの。ただし、実際のフィールドはリアルな琵琶湖の周囲そのものであって、ネットで公開されている情報はその一部、という構造になっている。だから、実際にコミュニケーションが行われるのは、リアル社会の中であって、びわこ市民研のサイトの中である必要性は基本的にはない。
 そういった、リアルなコミュニケーションを円滑にするために、いろいろなソーシャル・メディアが利用されても構わないのですが、そういったものは、外部で提供されているいろいろなサービスを使いたい人が使えば良いのであって、特に市民研サイトの機能として提供する必要が無い、と今は思っています。

(菱川)
 丸尾さんのいっていることって斬新でときどき感心します。普通なら、たくさんの人にサイトを利用してもらうための工夫をするのに、丸尾さんは、そんな工夫はいらない、という。

(丸尾)
 ツイッターやSNSのような機能は、他のサイトに任せれば良いというだけです。市民研のサイトというのは、個々の“ネット上”のコミュニケーションを活性化させるのが目的ではなくて、リアルなコミュニケーションをいかに活性化させるかという目的に絞るサイトであるべき、ということです。

(菱川)
 では、当面は、今までのままで良い、ということになりますか。

(丸尾)
 こういう場合には、そもそも論を考えたほうが良いと思っています(笑)。我々の活動が仮にうまくいって、琵琶湖の周囲の人々にいろんなつながりができたとして、それで本当に琵琶湖の環境が良くなるのでしょうか。

(菱川)
 本当に、そもそも論ですねぇ。まず、改めて考えますと、琵琶湖の水環境が悪くなったのは、暮らしや経済から生まれた汚れた水、つまり、生活排水や工場廃水、田畑からの濁水などが琵琶湖に流れ込んだから。また、総合開発などによって自然環境を破壊してきたのも大きい。いわば、我々は生活を便利にするために、琵琶湖という自然資本を食いつぶしてきたわけです。ですから、良い状態の環境を取り戻すためには、食いつぶしてきた自然資本に対応する、それ相当のお金や時間の提供が必要になってくる・・。これは私だけではなく、多くの人が理解していることだと思います。
 そうなんだけれども、と、ここからが意見の分かれるところでしょうが、その全てを税金で賄う、つまり、行政の力で自然の姿を元に戻していく、というのには無理がある。なので、各地域の住民やNPOの自主的な活動が生まれ、育まれていくことが望まれる。それで最終的に環境が良くなるかどうかはわからないのですが、それが今のところ健全な道筋なんじゃないかな、と思っています。

(丸尾)
 そこまでは私もたぶん正しい話だと思います。だけれども、我々事務局には「それでどうする?」といった、具体的な活動計画が無いのが長所でもあり短所でもあるわけです。結局、具体的な活動は、個々の活動に委ねている。「ただの虫」で「つなぎ手」である以上、しようがないと言えばしようがないとは思いますがね。

(菱川)
 そういう意味では、我々は「おせっかいなメディア」だと思えば良いのではないでしょうか。具体的な活動は、市民研で紹介するいろんな人に委ねておいて、我々はそれを紹介したり、支援したりするだけ。でも、我々に主張が無いわけではなくて、紹介の仕方だとか支援の仕方だとかにそれが現れている。
 じゃあ、どういう主張なのかというと、また、説明に困ってしまう。市民研的なものとしかいいようがない。どうもいいかげんな話ばかりですみません。

(丸尾)
 実際、何が市民研的なのかというのは、菱川さんや私の個人的な思いというよりも、やはり、市民研で紹介しているいろんな人たちの思いによって作られてきているものじゃないかな、と。その意味では、サイトを見たそれぞれの人が、自分で理解していただければ良い。
 そもそも、この議論でもずっと「市民研」「市民研」っていってますが、実際のところ「びわこ市民研究所」って何者なのか良くわからない(笑)。びわこ市民研究所という建物がどっかにあって、我々がそこで仕事をしているわけではない。あくまでもホームページの名前にすぎない。
 じゃあ、ホームページを実質的に管理している菱川・丸尾の二人だけが市民研のメンバーかというとそうでもなくて、市民研のサイトに登場する全ての人が市民研究員だったりする。実際に「つなぎ手」をする役目は、菱川さんや私が行うケースが多いのだけれど、他の人がやらないわけではない。逆に、我々も、事務局として裏方に廻っているだけじゃなくて、実際の活動に参加したりする。

(菱川)
 参加者にとって、市民研に参加する、ということは、自分の活動を支援してもらう、というだけでなくて、他の活動に協力する、ということでもあります。
 で、具体的に何をするかは、まずは、一人ひとりがやりたいことをやっていけば良いと思います。もし、ひとりや一グループでできないような大きなことならば、仲間を募ったり、他のグループと合意形成をしながら進めれば良い。管理者の我々としては、そういうプロセスがうまく進むようにする。

(丸尾)
 いや、我々みたいな人間がもう少し居てくれるとありがたい(笑)。

(菱川)
 それは本当にありがたい。
 そして、これからの市民研にぜひ必要なのは、琵琶湖の周りの行政や企業の参加ですね。

(丸尾)
 いままでも、個人としては、行政や企業から(我々もそうですが)の参加もありましたけどね。

(菱川)
 これまでの市民研で出来ていないことは、「組織としての行政や企業の参加」というのもそうですし、「活動に必要なお金の流れ」を作ってこなかった、というのもあります。市民研サイトの運営そのものにもお金が必要ですが、個々の活動にもお金が廻るような仕組みを作らないと、今後の発展は難しいのではないかと考えています。逆にいえば、その仕組みをつくるために、市民研を再活性化させよう、と思ったのです。

(丸尾)
 菱川さんが今、京都で着手している、「いのちの里・京都村」事業と基本的に同じ考え方ですね。

(菱川)
 そうです。「いのちの里・京都村」というのは、京都府さんと一緒に始めている事業なのですが、京都府の農山漁村の環境を保全するために、農村と企業が連携したビジネスを作ろう、というものです。琵琶湖の環境保全と同様、税金のようなものだけでは農村を守ることは難しい。かといって、自助努力で経済的な発展を行おうとしても、「そこの農山漁村」ありきの農村ビジネスだけでは限界があるでしょう。だから両方の良いところを組み合わせて農村を守っていこうとしています。
 その考え方を琵琶湖に適用すると、例えば、企業のみなさんが琵琶湖の自然回復に何らかの効果がある商品を作る。それを、琵琶湖を守りたいと思っている人たちが積極的に購入する。また、市民やNPOなどが企業と一緒になって、さらに効果がある商品を開発する。そうこうするうちに、琵琶湖を守ることが産業になって、うまくお金が廻るようになっていく。というような仕組みが市民研的にできないかな、と。

(丸尾)
 消費や産業の活動を抑えることによって環境保全をするのではなく、その形を変えて発展させていくことによって環境保全していく、ということですよね。包括的に考えて、琵琶湖の環境を守るということは、地域の活性化だとか、まちづくり、農業や林業の保全などと一体的なものである。今までの市民研のコンテンツだって、必ずしも琵琶湖の環境保全に直接関わるものだけではなくて、そういった幅広いものを対象としてきました。ただ、今までは、産業や消費という部分については市民研はあまり扱ってこなかった。本来、そこに影響を与えるようなものでないと、琵琶湖の環境を守ることは難しい、というのはその通りだと思います。
 具体的にどうするのかは今後の課題ですし、実際のところ、今までの市民研ではお金を廻すようなことをしてこなかったので、うまくいくかどうかは全くわからないのですがね。

(菱川)
 個人の方からも寄付も募りたいと思います。でも、それは誰かの活動のために寄付をするのではなく、自分たちのために自分が寄付をするのです。例えば、1万人の人から1年間で1万円ずつの寄付を集めて、合意形成して、みんなでやってみたいことを次々にやっていく、なんておもしろいと思いませんか。でも、どうせ、今まででも、我々のできる範囲でしかやれてこなかったわけだから、ダメ元ということで。

(丸尾)
 お金を廻すとなると、その準備だけで相当な手間隙がかかるので、そう簡単におもしろいとはいってられないのですけどね(笑)。いや、まあ、冗談じゃなくて、お金をちゃんと管理する必要があるし、それなりの合意形成をするための仕組みも必要になる。

(菱川)
 そういう弱気なことをいっても、やってみるんですよね?簡単で無理のない話なんだけど実現するのは相当難しい、というのはいかにも市民研らしいのではないですか。丸尾さんって合意形成のプロでもあるんでしょ?

(丸尾)
 いや、そういうNPOを別に立ち上げたというだけで。そうですね、もしちゃんとやるなら、びわこ市民研究所という運営体そのものをNPO法人化する必要もありますね。

(菱川)
 いずれにせよ、我々の思いだけでは何ともならない話であるのは確かです。多くの人の賛同が得られるようなものにしないと。

(丸尾)
 お金を廻すということだけをいえば、アイデアはいろいろありますし、実際に直ぐに具体化できるようなものが無いわけではない。ただ、やはり、市民研の存在意義として、我々だけの自己満足に終わるようなものになったとしても意味がなくて、多くの人々の参加が得られるようなものにしなければいけない。これは必須ですよね。

(菱川)
 いったん、結論的にいえば、もう一度、基本的には今までの形で市民研を運営する。ただし、行政や企業の組織としての参加や、お金を廻す方策を考える。これが、今後の我々の進む方向性である、ということですね。
 この議論は、市民研サイトのトップにリンクさせますので、サイトの読者のみなさんに意見をうかがいましょう。意見を聞いて、もう一度結論を出せば良いし、我々のこれからの活動に協力したい、という話が来たら、それも大歓迎です。

 
(つづく)

たいへんな長文をお読みいただき、ありがとうございます。
ぜひ、何か、感想なり、意見をいただければありがたいです。
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