ゆうこ 24回 2002年10月10日
朽木村での不耕起のしぜ〜んな拡がり方
朽木村では今年8件の農家の人たちが、4ヘクタールの田んぼで不耕起農法を実践しました。
 
 そもそも不耕起を始めたのは2年前、朽木村観光協会事務局長の澤田龍治さんと、朝市で鯖ずしやとち餅を販売している山本隆男さんの2人です。
 
 腰を悪くした澤田さんは、田んぼをもう止めるか、続けるなら不耕起しかないと岐路に立ったとき、長年心の中であたためてきた不耕起への夢を山本隆男さんに持ちかけました。
 
 
 
 山本隆男さんは二つ返事で「機械あるんとちゃうか?いっぺん聞いてみたるわ」言うて引き受けてくれて、トントン拍子に話は進み、山本さんとこで偶然残っていた1反の田んぼに植えたのが始まりです。そしてこの年、2人は貴重な体験をされたのです。
 
 
(澤田龍治さん)
 平成12年5月25日、偶然残っていた1反の田んぼに初めて植えたんや。最初の一列目を植えていく様子を見て思うた。「これは、こんでいいんや」と。心の底ではずーっと耕す必要はないんだと思っていたから。1列植え終るのを見たとき、「来年も、これでしよう」と決めた。みんなは「秋まで待って」って言うたけんど、わしはそんなもん「来年もこうしよう!こんでいいんや」とすぐに思った。
 
 
(山本隆男さん)
 わしは、こんな感動した年はないんや。わしは40年間何しとったんやろうと思うた。生き物が一年で還ってきた。いい環境作ってやったら還るのも早いってことがわかった。けど不耕起やらんといつまでもわしらは知らん。不耕起やってなるほどと思った。
 
 お二人のこんな実体験から出てくる真実の言葉を聞けたことに感動しました。
 
 澤田さんが初めて不耕起の田植えに立ち会って1列も植え終わらないうちに「こんでいい!来年もする!」と決めたわけは・・・澤田さんは話の途中、たびたびぶ厚い資料をめくります。

 
 
(澤田さん)
 わしは何につけても疑問を持つ、と言うかもっとおもろいことはないかな?と常々思っているから、手元に入ったあらゆる資料はみんな置いておくんや。新聞、雑誌の切り抜きでも何でも、自分に都合がいいものはないかな?朽木に合うようなものはないかな?と。
 
 前に血液センター行った時、ふと手にした雑誌の中の1ページに、農学博士の小泉武夫さんがなれずしのことを書いた記事を見つけ、よく読むと全部朽木のなれずしの内容やった。それでその雑誌を譲ってもらい、すぐに電話して了解を得て、朽木のなれずしのチラシを作らせてもろたんや。
 
 といった具合に澤田さんはいつもいつも朽木村のことばかり考えています。そういえば朝市をやろう!と提案したのも澤田さんです。
 
 
 「わしは朽木の人しか大事にせんさけえ」と笑う澤田さん。「わしは不耕起も難しいことは知らん!
 
 だれも不耕起を、してもせんでもいいことやもんな。道路交通法で決まってることやないんやし。ただ、朽木に合うように、そう考えた結果が不耕起やったというだけや。
高齢化していく自分や朝市の仲間達、手押し車のおばあさんが少しでも長く、元気で、好きな百姓を続けられるように、と思ってきた結果が不耕起やったというだけや。
 
 
 不耕起は確かに省力や。そやけど手抜きじゃあない、不耕起は不耕起で別の技術やという考えでやっていかないと、いつまでたっても技術が上がらない。今度はちゃんと苗の勉強せなあかん。
 
 澤田さん達は野菜の不耕起栽培も始めました。
 
 みんなに言うてるんやけど、畑も大変や ウネ作って、せなあかん。けど、起こさんでよかったら、車押してるおばあさんでも長いことできるやん?家で食べるもんぐらいは、起こさんでも充分とれるんやでっていうのを実証しようと思うてな。
 
 澤田さんは百姓塾も開いています。
 
 百姓っていうのは、昔はこんな山ん中に住もう思うたら、それこそ100通りの技をもっている。衣、食、住、全部作ったんや。麻を育てて、きもの織って、炭焼いて、まき割って、かんじき作るわ、漁具作って魚もとる、米も作れる、野菜やったら100種類ぐらい畑で作る。
 
 あれっ?と思う時分に種まいてるし。あれっ?と思う間に、ネギの苗買うてきてるし。畑みてても次々植えてあって、年中空いてる時がないし、家の裏みるともう白菜の苗買うてるって具合に。
 
 百姓はほんますごいなあ思う。まあそういうて感心してても何もできんさかいに、みんなに不耕起をしようか?って言ってるんや。不耕起するとなんか田んぼがおもしろいらしいし、逆に不耕起にしたほうが自然が豊かになるんやでェ、という話をしたり。オノミユキちゃんや青木先生、ふれあいセンターの中村さんや、普及所や役場の若い子にもこんなこと知っとかなあかんのとちゃうんか?と皆に言うてるんや。
 
 ほんでこの頃はわしの周囲の人たちはこんなんばっかり。
 
 山本隆男さんに言うたらすぐ「やってみるわ」言うてくれるし、近所のおばあさんも「起こさんでええんや、やってみなわからん!」言うてくれる人がそばにおってくれて、
去年頃までは、「起こさんでええんか?」言ってたもんが、今年は「お前ら、まだ起こしとんのか」言うとんのや。
 
 もうこれで、わしが言わんでも皆、すーっと自然にやってくれる。
 
 おもしろいことは、とにかくやってみるという澤田さん
「朽木は人が宝や」
「人がそうやとそこらにあるもんも生きてくるんやな、きっと」
 
 そう言って笑った“澤田さん”も、朽木の大切な宝なんだと気がつきました。


 日曜朝市 くつき新本陣
 早朝6時、京都市内から大原を経て、滋賀県に入る。花折峠を越えて北上すれば約1時間半で朽木村に着く。
 
 この道はその昔、若狭の小浜で水揚げされた魚を京の都へ運んだ、若狭街道(鯖街道の一つ)です。
 
 
 7時30分。すでにたくさんの人でにぎわっています。どんなものが並んでいるんだろう?
 
 
 そこには朽木の村の人達の自慢の技の数々が並んでいました。鯖寿司、鯖のなれずし、焼き鯖、とち餅、漬物、ちらし寿司、野菜、花、ぞうり、焼きおにぎり、などなど。
 
 
 どれもこれも全部おいしそうです。自分のふるさとの味ではないけれど、きっとなつかしい味がするに違いない、と思いました。
 
 
 日頃、忘れて暮らしていた、なつかしい記憶がよみがえってくるような感覚を覚えます。「あっ、そうだ、そうだ、私はこういうものが食べたかったんだ」というような感じです。
 
 
 ひと回りすると、朽木の人たちの暮らしぶりや食生活に少しふれることができて楽しいです。
 
 
 なんか、なつかしい味に会いたくなったら朽木朝市へ行ってみましょう。やさしい笑顔となつかしい味が、ふるさとのように迎えてくれますよ。
 

 
 あっ、たこ焼き焼いてる澤田さんの奥さんだ!

 山本さんと奥さんがやってる鯖ずしはぜったい買おう!っと。
 
 来週は山本隆男さんの感動秘話「不耕起との出会い」をお伝えします。

 
 (つづく)
       
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