ゆうこ 26回 2002年10月31日
朽木村・雲洞谷の昔の暮らし
 昔、といってもほんの40年ほど前までは、朽木の自然の恵みが存分に活かされた、豊かな暮らしがありました。
 
(山本さん)
 昔はな、ここら辺りは杉の木で立派に生活できたんや。朽木の93%は山やもんな。杉の木は昔、金の棒といわれて、売るとすごい高かったんや。その時の材木景気でごっつい家も建てたりな。
 
 
(奥さん)
 結婚した時分は山が盛んやったから、杉起こしとか春になるとみんなに頼んでね。私は後からお弁当を持って自転車で行くんですよ。杉の木立の中を一人で自転車で行くと、髪の毛がスーッと引き締まるんですよ、なんか不思議な緊張感があるんです。いつもそう感じましたね。
 
 
(山本さん)
 炭焼きも盛んやったな。ここら1年中、炭焼きの煙が立ち上っとったけど、昭和35年ころには燃料革命が起こった。プロパンガスが入ってきたんや。こんな田舎に不思議やな?と思っていたら、4、5年でたちまち広がっていった。
 
 そうしたら、みんな路頭に迷うたんや。仕方なし炭焼きの仕事はないようになって、出稼ぎに行くようになった。その時出た人は、もう帰ってきいひんかった。燃料革命っていうのは恐ろしかったでえ。ここら全部が炭焼きしてたんやからな。
 
 
(奥さん)
 昔、ここらは麻を作ってたんですよ。背広作ったり、衣類は全部麻。7月ごろに麻刈りして、蒸して、皮をむいて、その中は麻木っていうて真っ白なんですよ。それは焚き付けやたいまつに使ったり。
 
 そしてむいた皮をきれいにさらして、灰で炊いて、流れ川で真っ白に洗って、そうすると繊維がわかれてくるんです。シューっと。それをこまかく割いてつないでいくんですよ。冬の仕事でね、秋が終わってから春までみんなやってましたね。それを家の主婦は自分で、はたを組み立てて、春まで織って雪ふる田んぼにさらすんですよ。私の子供時分まであったね。麻のあとは必ず大根まいてね。根がものすごくよく張るさかいに。
 
 おばあさん達は夏に麻を着ると他のものは着られん、いうてたね。それに麻の蚊帳は昔、雷が鳴ると入るといいっていってね、昔の蚊帳思い出すねぇ。
 
 
 懐かしそうに奥さんが話してくれました。こういう地元の昔の話を聞かせていただけるのはとっても得をした気分です。昔話はふるさとの話のようで、聞いていてなぜか心がいやされます。
 
 さあ奥さん自慢の味をご紹介します。
 
とちもち
(奥さん)
 とちの実のあく抜きだけはね、昔からの方法じゃないとできないんですよ。昔の人はえらいね、これをあく抜きしたら食べられるゆうことをみつけたんやね。昔はね、お正月と寒しかできなかったんですよ。お正月に作って、いいのができたら京都や大津の親戚にもっていく。それで、とちもちやなくて、「やりもち」とかいうてたんです。今は、夏、冬問わず、1年中作ってますけどね。

 

(山本さん)
 とちの木は2mぐらいの大木になると、木の下へ行ったら何か神秘的な感じがする。雨の日なんか巨木の下に行ったら、薄暗いし大蛇が出てくるような、何かが自分にせまってくるような恐ろしいような感じがするんや。
 
とちの実
とちもち
さばずし

不耕起のお米を使用しています。
 


 どれも「くつき新本陣日曜朝市」でお買い求めになれますよ。作り手によって微妙に味加減が違うそうですので(特になれずし)、 何回か行って自分好みの味を見つけてみるのも楽しいですね。
 

なれずし

 山本隆男さんは、野菜も不耕起で挑戦されています。重たそうですね。ずっしりと密度も高そうですね。

(山本さん)
 つやがちがいますやろ。不耕起の理論を畑に使うてもまったくいっしょやな。穴ほってするだけで立派になる。

 かぼちゃでもウリ類でもなんでも。それが分かった。あー、これはええこっちゃ。ほんで野菜も草と共存させなあかん、ということも分かった。

 イネもいっしょや、草が生えたりして負けんとこと思うやろ。野菜もいっしょ、ただ刈るだけや、わし。

 不耕起栽培をはじめてから、米や野菜づくりが楽しそうですね。

(山本さん)
 そやな、不耕起がもたらしてくれたありがたさ、っていうのはそれやろな。

 
 (つづく)
       
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