地域住民による西の湖保全と地域おこし(平成22年10月〜11月)

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〜水と小グループ活動にこだわってきた東近江水環境自治協議会〜
            東近江水環境自治協議会顧問(初代会長)丹波道明

 

はじめに

*なぜ水にこだわったか:
かって、この地には琵琶湖で一番大きな内湖群があった。
そこには豊かな貝や魚があふれ、群れなすトンボが飛び交うすばらしい里湖(うみ)
があった。
   1942年(昭和17年)以前の琵琶湖の周辺には、37湖 2903.1haに及ぶ内湖(湿地帯)があった。食糧増産のための干拓(農地化)、琵琶湖総合開発に伴う湖周道路の整備などに伴い現在では24湖 428.8haを残すのみとなった。(別紙1参照)
残された西の湖は221.9haと琵琶湖で最大の残存内湖であり、かつその周囲にはおよそ100ha のヨシ原(琵琶湖全体のヨシ原の60%強)が生育する。
このようにやっと残った西の湖であるが、小中の湖干拓の影響をうけて湖底、湖周に大きなダメージを受けている。
この再生と保全が我々の会の主な設立目的であつた。

*なぜ小グループ活動にこだわってきたか:
  人はなぜ働くのか、心服する人のためか、お金のためか、脅かされるからか?
お金がもらえなくても働く(活動する)条件は何か?を詰めたとき、自分がやりたいと思うことが出来る小グループ活動ではないかという共通認識が生まれた。
  さらに、設立に際しては設立時の役員が
1「自発性」「行動力」「楽しい」を尊重すること
2 西の湖の再生、保全が中心となるものの、各人がやりたいと思っていることを尊
重することを申し合せ、その結果として、小グループ活動を緩くつないだ ネットワーク組織をもつ任意団体が設立されることになった。

 

たどってきた道

1.立ち上げに際して

    環境に取り組むNPOを立ち上げることは、公害問題に直面している場合など何らかの問題に直面する場合を除いてそう簡単ではない。このときに行政の果たす役割は重要
(1)観察会で共通の問題意識を作る(大切な行政の果たす役割その1):
   我々の会、東近江水環境自治協議会は、近江八幡市と安土町の行政有志による長命
寺湾西の湖環境保全協議会が母体となって誕生した。誕生に際してこの協議会が
「わがまち水辺観察会」を開催し、さまざまな水辺を対象に4回にわたる現場観察会
を開催してくれたことが、会設立のための大きな動機付けとなった。

(2)設立に際して設立準備委員の人選に留意する(大切な行政の果たす役割その2):
明るい人、意欲と行動力のある人。そして
A.設立を急がず充分な議論のプロセスを重視する:
      水辺観察会参加メンバーの中から近江八幡市、安土町各10名の設立準備委員が
約半年間9回の設立準備委員会を開催し、充分な協議を行った。
これにより設立準備委員が仲良くなり、考え方の擦り合わせができた。
B.何が会を動かして行く原動力なのかを考える(リーダーの役割):
設立委員は水環境の改善に意欲をもっている点で共通していても、そのなかの何にこだわっているかを大切にした(こだわりを聞くと皆違った)。このことから設立準備委員に自分がリーダーになって各人のこだわりのテーマを追及してもらう小グループを設立してもらって、その小グループをゆるくつなぐネットワーク組織という合意ができて会の形が定まった。(また、設立準備委員はこだわりのテーマにかかわる何らかの会にすでに入っているか、仲間がいる人が多い。この仲間を会員に勧誘してくれた)
C.設立総会を会員勧誘の大切な機会と捉え充分な準備期間と入念な計画を作った。
   その結果、会員数200人と5法人の会が立ちあがった。(2000/7/8)


     
2.会の活動をはじめてみて

(1)小グループはさっぱり動かない:
このようにして、会の活動を始めたものの小グループの立ち上げは無く、みな
  お互いに横目で他の動きを見ている状況が続いた。

(2)やむなく主な理事による全体活動で引っ張った:
  A. 近江八幡市で開催された第5回リビングレイクス国際会議の外国の参加者
50名を西の湖と下豊浦の集落に案内し地元民との交流を図り大変喜ばれたこと。(2000/11/11)
  B. 近江八幡市文化会館で1000人の参加者を集めて流域フォーラム、
奏でる(ヨシ笛コンサート)・語る(日高、嘉田、木村各先生による鼎談)・
鑑る(環境創作狂言琵琶の湖の上演)を実施し成功したことが大きな自信となり、各役員の自主的な活動(小グループ活動)に火がついた。
我が会の事実上の発足式であった。(2001/6/24)

(3)自発的な活動を続けている小グループと積極的な連携をはかる:
  おうみ未来塾一期生の環境グループ「セブンドロップス+1」と連携できたことが、
  また、グループ活動を今まで独自に続けてこられた方々の加入があったことが小グ
ループ活動の立ち上げをさらに刺激した。

(4)小グループ活動が活発化する:
平成13年度は次のような小グループ活動を開始した。
        ヨシ文化談話会、ヨシ茶・ヨシ食材・ヨシ染め研究会、西の湖自然観察部会(植物・
  昆虫・魚類、野鳥)、西の湖の語り部活動、ヨシ笛、ヨシ紙芝居を上演する会、
勇気・有機農業研究会、エコフォスタ(西の湖畔の草刈・ゴミ拾い)、小中の湖の
記憶を記録する会など。
なかでも次の二つの活動は西の湖のラムサール条約登録(2008/10)に際し、大きな役割を果たした。

1西の湖自然観察部会(植物・昆虫・魚類、野鳥)活動:設立1年後から現在まで毎月1回第2土曜日に定例の観察活動(会活動にとって最も大切な活動の中心)を継続して行っており、平成22年の夏で100回に達した。 

2西の湖の語り部活動:会の最年長会員の元漁師奥田修三は安土町の小学4年生延べ1800人を船で西の湖に案内し、自分の体験を通じて水の大切さ、内湖に住む生物の大切さを語り部として訴えている(2005年環境大臣賞受賞)

(5)小グループ活動のおたく化がはじまる:
  平成14年度もこの傾向は持続した。しかし活動が回を重ねるにしたがつて会  に参加するメンバーが固定化し、親密で楽しい雰囲気が形成される一方で、新たな
人達が参加しにくくなる現象が生じていた。
会活動の新しい展開が必要であった。


                   
3.会活動の新しい展開;

(1)ヨシに関係する活動:
・会発足以来毎年2月にヨシ刈ボランティア(ヨシ刈によるヨシの健全な生育促進)を実施している
・毎年8月西の湖の周辺でヨシ松明祭りを実施している
・毎年12月にヨシと環境フォーラムを開催している
・ヨシ舟を造って、沖島わたり(2002/8)、ヨシ舟で御堂筋パレードに参加、ヨシ舟で淀川を下り大阪湾まで行った(2004/10)
・「ヨシの二期作」のテーマで経済産業省の環境コミュニティビジネスに応募し
3年連続で採択された(2004/6)、(2005/6)、(2006/6)
・ラムサール条約登録を記念して「ヨシ造形と灯り展」を実施した(2008/11)

(2)西の湖の保全を自治会と共に:西の湖を囲む9自治会と2NPOで西の湖の保全
(治水、利水、景観、環境)をはかるため当会を事務局とする西の湖保全自治連絡協議会(通称西の湖美術館づくりwww.nishinoko-art.net参照)を立ち上げたこと
(2004/8)自治会を巻き込むことは難しく旨く機能していない。

(3)流域活動(鈴鹿から琵琶湖へ:東近江環境保全ネットの一員として各種体験交流事業の推進、環境調査の実施、環境市民会議での意見交換を通じ持続可能な社会づくりの促進にとりくんでいること(2001〜)

(4)流域活動(琵琶湖から大阪湾へ」:琵琶湖・淀川流域圏連携交流会の設立に参加したこと。(2006/10)

(5)国際交流:・第5回リビング・レイクス国際会議in近江八幡に参加した外国の代表55名を西の湖に案内したこと・第9回世界湖沼会議in滋賀、第3回世界水フォーラム、第10回世界湖沼会議inシカゴに参加したこと

 

4.このようなこともありました

(1)パブリックコメント(蛇砂川川造り会議)
平成9年5月の河川法の改正によって従来の治水、利水のほかに環境が入ったこ
とから計画策定に当たっては関係住民の意見を聞くことが定められた。
これにより、淡海の川づくり検討委員会が開催され、その一環として「蛇砂川づく
り会議」が平成13年(2001)12月から平成15年(2003)2月16日にかけて、滋賀県東近江地域振興局河川砂防課の主催により8回にわたって開催された。
この間、はがきによる一般公募委員として本日の講師が全会合に出席し、西の湖班
の班長を務め意見集約と河川整備計画に対する意見反映に努力した結果、淀川水系 東近江圏域 河川整備計画が次ぎのように設定された。
  「西の湖の治水計画では、これまで長命寺川への出口と、蛇砂川の流入部を結ぶルート上に新たに堤防を築いて河道(湖中堤)をつくり、西の湖周辺は大規模なポンプによる内水排除をすることとしていました。
  しかしながらこの計画では、ヨシ群落を大きく改編し、水域を分断するなど西の湖の自然環境や水面利用等への影響が大きい事から、今後はこれを見なおし、今後は西の湖に関係する機関や関係者、地域の方々の意見を聞きながら、周辺の干拓堤防の嵩上げ等、環境に配慮した治水対策を基本に検討していくこととします。
  西の湖の水質は近年悪化の傾向をたどり、豊かな自然環境への影響が懸念されます。
  今後も西の湖ならびに流入河川の水環境の状況を把握し、河川環境の保全と改善への取組みとして西の湖で現在実施している底泥浚渫を継続していきます。」

(2)その結果どうなったか
 A. この結果に対し近江八幡市は賛成、安土町は反対の意向を表明、当会は安土町から町の意向に逆らうけしからんNPOがいるとされ「長命寺湾・西の湖保全協議会」を通じての支援は行わないと通告され、年間30万から40万あった支援金(活動に必要な消耗品費を中心とした)が打ち切られることとなった。
B. 県議会では上述の東近江圏域 河川整備計画どおり決定を見、従来からある湖中堤案は廃案となった。

(3)このような経過で西の湖の保全の危機が回避されたが川づくり会議の席で建設会社のなかに次の干拓は西の湖とつぶやく人もいたのでこのようなことを完全にあきらめてもらうには、西の湖をラムサール条約の登録湿地にするよりないと考え活動を開始した。


いまのすがた

1.会の概要

(1) 代表者:会長 奥田憲夫、副会長 丹波喜徳、事務局 堤良彦
(2) 連絡先:丹波道明 tamba-m@ares.eonet.ne.jp 0748-46-2006
(3) 組織: A:設立年月日:2000/7/8  B:会員数:200人と7法人
C:組織形態:小グループ活動をゆるく繋いだネットワーク組織(任意団体)
(4) 活動分野: 水環境保全、循環型社会形成、環境保全型農業など

2. 主な活動地域:近江八幡市と安土町にまたがる長命寺湾から西の湖(琵琶湖に残存する最大の内湖)にかけての水域を中心に、西の湖の上流域(鈴鹿山系)と下流域の琵琶湖・淀川を視野に入れた活動をおこなう。

3.全体活動の2つの重点目標

 

(1) 西の湖の保全と干拓された湿地の再生

課題:戦後の経済発展により失われた湿地や湖岸のエコトーンを回復させ、貝、ぼてじゃこ、はや、もろこそしてトンボ達を復活させることが急務。

課題への対応: 
1西の湖美術館づくり(活動目標の一般化):
環境問題に取り組む動機は人様々である。干拓以前の内湖を知る人は少なくなっ 
  てゆく、その人たちがかっての内湖に抱く思いは個々人のものであり継承できない。
そのために西の湖を美術館のように美しい内湖にしようと考えた、こうなると美
しいとはという言葉が問題となる。我が国には里山や庭園のように「手入れされた自然」を美しくおもう伝統がある。その伝統に則ろうとした。

2役割分担の重要性:
水問題への取り組みは、マーケットのグローバル化によって放置されつつある
  山林、里山、里湖、ヨシ原の適切な保全、コンクリートに覆われた川や湖の再生な
ど、われわれの甲斐性を越えた課題への挑戦となる。
我々の役割は、現場で感じ、記憶し、考えている情報を、例えば、
a)小中の湖干拓地から西の湖へ排出される泥水によって、かっての西の湖の湖底に見られた砂、礫、泥など多様な分布が一面に泥の堆積に覆われてしまっていること。
b)大中の湖の南締切堤防(現在の県道伊庭円山線)づくりのためにサンドポンプで西の湖の底から砂や泥を吸い上げたことにより湖底が荒れ近くのエコトーンが消滅していること。
c)遠浅だった砂の岸辺(おびただしい貝がいた、ぼてじゃこがいた)が埋め立てられ道路や町の施設が建っていることなどを行政に提起することにより産・官・学・民のパートナーシップで問題解決への道を開きたい。
  具体的には滋賀県琵琶湖環境科学研究センター(旧琵琶湖研究所)の総合解析部門長の西野麻知子さんの西の湖の生物再生プロジェクトの手伝いを行っている。

3市民・住民の関心と参加を促進:
住民の川や湖に対する関心は、水道の普及、治水対策の進展などによって薄れていった。しかし、国や県の財政が十分ではない今こそ、川や湖に対する市民・住民の関心を取り戻し、問題解決に市民・住民の参加を促進する行動を取って行きたい。

4水でつながる流域住民との交流と連携:
水は上流から下流へ流れる。その網の目のように流れる流域の連携なしに水問題の解決はない、さしあたって東近江水環境の活動の中心となっている役員の住んでいる集落の自治会の皆さんに協力をよびかけ、ゴミの不法投棄ゼロ、分別の徹底、
  西の湖へ流れ込む農業用水路の清掃を行っている。

 

(2)ヨシ原の再生

課題:
1私有地であることのむつかしさ:西の湖の流域にある約100haのヨシ原のほとんどが私有地であり、市場競争に敗れると我が国の山林同様手入れされずに放置される。私有地であるから行政も対応がむつかしい。

2ボランテア活動の限界:当会が毎年進めているヨシ刈ボランテアは年々参加人員を増やしているがこの活動で手入れできるのはせいぜい1〜2haにすぎない。

3地域住民の反応:これを解消するためヨシ原の保全への参加を自治会や地域住民に参加を呼びかけると、「大事なことやとは解っているが、きつい仕事やタダではイヤヤデ」との返事が返ってくる。

(2)課題への対応:
1環境コミュニティビジネスモデルへの取り組み
新しいヨシの利・活用をビジネス化することに挑戦する第一歩として、ヨシ若葉の粉末を食品に混入することに挑戦した。その結果を、経済産業省の環境コミュニティビジネスモデルに提案し、前述のとおり3年連続(2004,2005,2006)で助成をうけることになり、この助成終了後に会社設立に向かうこととなった。

2(株)豊葦原会の設立
ビジネス化への挑戦を更に促進し、長続きさせる方法として会社化を考えた。
この場合、新商品の開発が成功し事業化の目処が立ってから会社を作るという考え
方が通常であるが、労務費ゼロの会社を造り利益が出たら労務費に充てるという対
応をした方が事業化の目処がえられやすいと考えた。
この考えから2006年11月にヨシ原、里湖、里山の保全を目的とした(株)豊葦原会を設立した。

3志を同じくする先輩企業との連携をはかる
   コクヨ滋賀株式会社との連携、株式会社伴ピーアールとの連携 

 

もっと大きな思い(思わなければ実現しない)

(1)ゆったりとした時の流れが感ぜられるような楽しい活動を:
      我々の活動の推進力は何であったかを今一度振り返って考えてみると、政治から 
      も、宗教からも、イデオロギーからも自由な活動の楽しさの味をおぼえたのだろおと思う。
会の企画にしても後から後から思いつきの試行錯誤が付け加わる。行事予定が少々遅れようがいのちの時間を大切にキチンチョントはいかぬ面白さ、都合のつく者が集まり何とはなしに出来てしまう面白さを楽しむといったことだろうか。
      「自発性」「行動力」「楽しい」という設立当初に語り合ったことがらの実現を目指して更に努力を続けたい。

(2)里山の暮らし復元への挑戦:
      我が国の国力維持のためには国際競争力に打ち勝つ努力は必要であり、 高度な
技術と莫大な設備投資を伴なう産業は、国の動脈産業として進むことになる。
他方、われわれは経済のグローバル化によって放置される山、川、里山、里湖、
ヨシ原など仕事と暮らしが生業として一体化する領域で、そこそこのお金でゆったりとした時が流れる持続可能なビジネスづくり、生業づくりの再生を静脈産業と位置付け里山の暮らし復元への挑戦を進めたい。

(3)西の湖美術館構想の実現へ:
我々の活動の現場は歴史の宝庫(大中の湖南の弥生遺跡、織田信長の安土城、
   佐々木六角の観音寺城、豊臣秀次の八幡山城など)であるとともに、文化的景観第
一号に登録された西の湖の景観を持つ、この二つを生かした美しい町づくりの実現
に努力したい。

                                  以上

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