第16回
2001年11月22日 菱川貞義
農業への新しいまなざし

 琵琶湖研究所において、10月11日に第38回・琵琶湖セミナー「水田の生物多様性保全」がありました。そこでぼくは、農業の新しいまなざしに出会いました。
「農と自然の研究所」代表理事の宇根豊さんの講演は、そんな新しい視点であふれていました。
 
 水田の“多面的機能・自然的機能の増進”とよくいうが、言葉の遊びでしかなく生活者のものになっていない。百姓のものになっていない。例えば、“洪水防止機能”のことがいわれるが、百姓にはそんな考えはない。実際に洪水になったら「田んぼで洪水を防ごう」なんて考えてはいない。正反対にはやく水を田んぼから抜きたいんです。結果的に洪水を防ぐことになっても百姓はそれを喜びとはしていない。
 
 田んぼの生物育成機能についても同じこと。田んぼがメダカを育成しているのなら、それを百姓のお金にしないといけない。そういう価値を見つけないと生活にならない。

 

 日本人の自然観は2つのもので混乱している。明治以降に生まれた2つの自然観のひとつは「人間が手を加えない自然」、もうひとつは「農業で生まれた赤トンボなど人間の手を加えた自然環境」。そのなかで「人間の手が加わらないと育たない」自然が軽んじられている。農学が対象にしていなかった「農業こそが自然環境を守ってきた」という考え方が農業を守ることになる。
 
 新しいまなざしで、農業の近代化の中で失われてきた仕事への評価をする。生産性が低いと見られていた昔の農業の環境に対する仕事を評価する。そうして農業と自然環境の関係を見ていく。食べ物だけの農業では守れない。環境面をきっちり評価して農家の所得にする。セーフガードでは解決しない。いまの経済で語るとだめになる。

 若い世代は、まわりに生きものが少ないから生命とのかかわりができない、だから生命を大切にできない。生きものを増やせば、自然と生きものとつきあうことになり、大切にもする。田んぼにしても、子どもに畔を走らせるだけでもりっぱな総合教育になる。そのことを教える人が育っていない。いまの教育は子どもへの語りかけがまちがっている。農業は食べ物を作るだけでなく自然環境を守る仕事だと伝えることが大事。
 そうすると、手植えはみじめではなく新しい価値がでてくる。生きもの調査は趣味でなく百姓仕事として評価できるようになる。「赤トンボが何匹見つかったから給料はいくら」というような評価。
 農業で自然に働きかけるのはごく一部。ほとんどは自然の力、恵みによる。だから農業の環境への仕事の評価がむずかしい。そのとき科学では分からないものがあることを認識する必要がある。なぜ、メダカが必要かは科学だけでは説明しきれない。それを科学で証明していく。感性で科学を補強する。そういうふうな議論がもっと必要。
 そして市民レベルでもっと動いて政府を動かすことが重要。「本当にメダカが必要」という政策要求を突きつける。なんとなく必要というのではだめ。
 
 「水田・環境・健康・子供たちを守る会」の仲岸希久男(専業農家)さんの講演も“新しいまなざし”にあふれていました。仲岸さんについては、「おいしいお米!」研究がスタートしましたので、そちらで次々と感じていただけることになると思います。
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