西川嘉廣さん
西川嘉右衛門商店会長
第44回
ヨシ!生きている!と感じるとき
2002年6月13日 菱川貞義
丹波さん
「人の交流は、私の生まれたころ、70年前から会社に入るまではありました。水もきれいだった。昭和29年に学校を出て、東レに入って、家へ帰らずにあちこち転勤で回って、定年になってここへ帰ってきた。景色は依然としてきれいなのに、水がまったくちがってしまっていて、それに一番びっくりしたんです。」
まるで浦島太郎みたいですね。
「ちょうど行政が西の湖の観察会をやるからと言われて、参加して、それで水にびっくりして。『準備会を立ち上げてくれ』と言われて、それで協議会をはじめたんです。その時に起案から設立趣意書から全部、準備委員の人たちの意見の中からつくりあげてきたんです。何度も何度も会を設けて。それで本当は西川先生が委員長をやるはずだったんです。」
西川さん
「定年になったとき、ちょうど準備委員会が立ち上がってタイミングがよかった。」
丹波さん
「でも、いつまでも私たちではもたないんで、はやく若い人たちにバトンタッチしなきゃいけないんです。」
西川さん
「しかし、アジトもできて、だんだん一人歩きをするようになりそう。でもそのためには丹波さんがまだまだずっとがんばらないと。」
丹波さん
「われわれの会で、もと漁師の奥田さんは毎年、小学生を連れ出して、西の湖探検をやってくれてるんです。うれしかったのは、小学生に『安土をどうしたいですか』て聞いたら、3つ応えが返ってきたんです。ひとつは『安土城を建てよう』、2つめは『西の湖を美しくしよう』、3つめは『新幹線の駅をつくろう』。子どもたちから2つめがでたのは、奥田さんがいつも西の湖を見せてくれてたからなんです。昔の魚とりに使った道具を見せ、『昔はここでこうして魚がいっぱいとれたんだよ』と、奥田さんの仲間の福沢さんと2人でされていたんです。これは、とても大事なことですよ。」
からだで体験した子どもたちが、自ら考え“環境のためにこうしなきゃ”というミッションが生まれれば、きっと強い力になりますね。
丹波さん
「いまおっしゃった“ミッション”がひじょうに大事で、日本の行政システムで一番欠けてしまうのがミッションなんですよ。いましていることが何のためにやっているかという視点がないまま進んでしまう。」
「わたしが“いのち”というものを思いはじめたのは、会社で“生きてるな”と感じたのがきっかけなんです。“感じて、考えて、行動する”という。従業員がみんなそうなれば、元気のいい会社になる。地域もそう。それで、ずーっと考えると、小さな微生物からはじまって、多くのいのちがみんなで、水や空気を支えている。というようなことを論理ではなく、実感として身体で感じることが大事なんです。」
われわれ広告会社の人間も、自分で感じて自分で考え、行動することがとても大事です。広告主が言ったことをそのまま受けるのではなく。
(次回につづく)
6月1日(土)にヨシキリが鳴くヨシ原の音風景をとりに出かけました。
写真をクリックしてから耳をすましてください。
西川さん
「ヨシキリは4月上旬頃からここらへんのヨシ原に渡ってきて、8月頃までいる。ちょうどヨシの新芽が出る頃から鳴き出し、土用の頃に鳴かなくなる。」
「この鳥は日がな1日中ぎょうぎょうしく鳴くので、『ヨシキリが土用に入ったよう』というのは、いままで騒がしくしゃべっていた人が急に黙るさまのたとえになっているんや。」
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