西川嘉廣さん
西川嘉右衛門商店会長

第46回

近江八幡は意外?とヨシ!

2002年6月27日 菱川貞義
村井さん
「この3月に卒業した子どもたちが保護者の方といっしょに去年、ヨシ刈りボランティアを経験しているんです。雪のふる寒い日でした。それから、1年は総合学習の中で“地域”というのがテーマになっていまして、地域学習の中で、西川さんのところにもおじゃましているんです。」
 
西川さん
「いつ来てくれた子がここの学校の子なのか分からんのだけど、子どもは名刺もってないし。でも、たくさんの子どもが来ていますよ。」
 
村井さん
「そういう経験をしてきた子が3年生になって、地域の宝であるヨシといろいろかかわっていけたらと思ってます。」
 
 
 学校でもヨシが注目されているんですね。
  
村井さん
「動機は不純なんです。実は2年生は修学旅行で長崎へ行くことが決まってまして。平和学習をやるんですが、こちらも長崎の方に近江八幡のことを何か伝えようと思ったんです。向こうで学習する前に、事前学習したことを冊子にまとめてお送りしているんですが、その時に近江八幡のお土産を添えようということになって。」
 
 
「特産品で何があるやろかと子どもたちと相談したんです。フナズシや八幡コンニャクがある。だけど食べ物はちょっと…。じゃ八幡瓦が有名。だけど瓦をもっていくのはちょっと…。となかなか決まらなくて。」
 
「『じゃヨシがあるね』ということになったんです。ヨシの細工物で、何かないかということで、一人ひとりでツルを折って、ツルに平和へのメッセージを書いて、それを色紙に貼って、それをヨシ製の色紙の台を使って。それを贈ったらちょうどいいやんかと。」
 
「でもそれからが苦労で。話が決まり、次にヨシの台がどこで売ってるのか探したんです。市役所やらほうぼうに電話をかけて調べても分からなかったんです。簡単に見つかると思ったんですが。」

 
 
 すぐ近くで売ってたんですけどね。
 
「そうなんです。それで最後に観光案内の白雲館に聞いて、やっと西川さんのところで売っているのが分かったんです。」
 
 (次回につづく)

 2002年6月2日(日)、みんなから「浮くはずがない、沈む」といわれ続けていたヨシ舟が堂々と浮きました!!しかもはじめて試作した舟で!新聞でも大きく取り上げられましたが、ここは東近江水環境自治協議会の丹波会長から届いた臨場感あふれるメールを紹介します。(丹波さん、勝手に載せてごめんなさい)
 
 
ヨシ舟が船出しました
 本日はまことに楽しい日でありました。安土町の信長祭りの商工会ブースの一つを東近江水環境自治協議会に割り当てていただき、そこでヨシ舟の試作を行ったのです。安土の西の湖畔に立てかけておいた竹田さんのヨシを使ってしまうと、ヨシ舟造りの看板のところのヨシが無くなってカッコが悪いと急遽、昨日円山の西川先生に無理を言って貰い受けたヨシを使い、朝9時過ぎから午後3時頃までかかって我が会第一号のヨシ舟が完成したのです。デジカメでその勇姿をご紹介できぬのがはなはだ残念でありますが腰がバンと張り、安定型の後ろ美人で、ほのかに色香漂うなかなかのものでありました。
 
 商売道具の重機や道具で、かさばって扱いにくいヨシを巧みに丸め込んでいただいた重野さんを中心に、奥田、安居、竹田、堤の皆さん、嵯峨芸術大学、滋賀県立大学の若者達、びわこ市民研究所の米原さんと和田さん、新聞見て駆けつけてくださった地元の人達に加えて、安土町生活環境課有志の皆さんなどの手によって、舟はたいそう上手に出来あがりました。 大阪から舟運フェァにわれわれ同様ヨシ舟で参加したいと西川先生のところに訪れてこられたエコロジーネットワークOSAKA(ENO)の8人のメンバーも見に来ていただきました。
 
 出来あがったらすぐ浮かべてみないと気の済まないガキ魂を何才になっても忘れる事の出来ない人の集まりです。アッというまにトラックに舟を載せ途中で進水式のシャンペンを買い、新聞社に電話して進水式をやるからおいでと出たとこ勝負で手際良くやるという我が会の伝統に即したアクションの結果、ヨシ舟は西の湖に浸水する事も無く進水いたしました。
 
 浮いたら乗れやとなるのが世の習い、オッチョコチョイの私めと、彦兵衛の二人が乗船しました。折りからの心地よい北風を葦簾の帆が受けてスムーズに船出したのです。 あとどうなったか?それは誰かに聞いてください。
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