岡田守弘さん
岡田麻株式会社・代表取締役

第3回

家業を見つめ直すうちに麻の有用性を再認識

 
2002年5月23日 坂本 隆司
 能登川町の本社でお話を伺った岡田さん。家業である麻織物業に関わるうち、自然に麻と人の関わりの歴史、環境にも優しい麻の特性から出発して環境全体と関心が広がっていったと話してくれました。その活動は、お米の不耕起栽培や町おこしを兼ねた麻のイベントなどさまざまに広がっているようです。そちらのイベントも詳細が決まりましたら、お知らせしていきたいと思います。
 さて、前回の麻の話の続きです。
 麻は繊維として、食物、照明用の油として、芯の部分は、壁材、屋根材として、それだけでなく、使い終わって廃棄する時も土に埋めれば自然にかえり、肥料となります。環境に対しても非常に優しい素材です。そして、歴史的に見ても日本人の暮らしに深く根付いています。今回は麻の歴史のお話です。
 岡田さん― 家業を引き継いでから、300年前からずっと使われている麻の良さ、性質にももちろん惹かれましたが、数年前から、さらに植物の麻そのものまで遡って関心が移ってきました。麻を見ながら考えると、この能登川の付近で栽培をしながら織っていた、実も食べていた。ヴォーリスの建築なんかにも土壁にひび割れの防止目的で麻布が使われていた。麻ひとつで衣食住の基本的な暮らしに関わっている。これだなと思いました。そんなことから、もっと麻を知りたいと思うようになったんです。
 たとえば、神社などには麻の布を奉納するんですよ。綿でもない絹でもない麻なんですね。神主さんの衣装にも麻が使われている。それで、4〜5年前にこの近くの神主さんに直接聞きにいったんです。何で麻の布がこんだけ神事に使われるんですかと。神主さんの答えは、麻は神聖なもので、素朴なものであるからだということでした。他にも、お札(ふだ)がありますね。あれ"タイマ"というんです。だから昔は麻の皮を加工して使ってたんじゃないかと思うんです。麻には電磁波を遮る働きもあるといいますから、昔の人はそんなことも知っていて、人を悪いものから守ってくれる神聖なものとして大切にしていたんじゃないでしょうか。

 日本古来の神道と麻。知れば知るほど興味深いですね。種子は神道結婚式に使用されますし、社殿の前に垂れる鈴を鳴らすためのロープも麻から作られています。麻縄と大麻紙は悪を遠ざけると信じられるため、神道儀式にしばしば使用されます。
 また、大相撲でも麻は神聖なものとして取り扱われています。横綱は最高位にある力士の呼び名となっていますが、もともとは腰につける麻の縄を指す言葉ですし、その"麻綱"が土俵に上がる際には土俵入りとして悪を追い払うための儀式が行われます。そんなことも思い出しました。

●GHQ指令で栽培禁止に
 昔は能登川のこの付近の農家でもごく普通に麻を栽培し、糸を採っていたんですか?
 岡田さん― 工場ができ、仕事として、産業として取り組むようになったのは明治以降のことですが、それと共に個人の生活中に使われていたと言うんです。家の裏で栽培した麻を川でさらして糸を取っていた。それを自分の着物とか、袋とか農作業に使う縄とかに使っていたわけです。壁の中材にも使っていたらしいです。
 実際にどのように糸を採るかというと、まず、麻の皮を剥いで、それを手で1本1本の繊維に分けていく。剥ぐと細い1メートル2〜30センチの長さの糸が採れます。先は細くなってますから、縒って繋げていくんです。それを延々と。これは主に女性の仕事なんです。それを今度はボディンに巻いて、シャトルの中に入れて織機で織っていく。このような工程で利用されていました。

 麻はごく自然に生活の中に溶け込んでいて、当たり前のように利用されていたんですね。そんな麻の位置付けが変わってきたのは、昭和20年の終戦後のことといいます。

 岡田さん― 戦後GHQが入ってきたときに麻の栽培を法律で禁止したんです。その原因は、いろんな本を読んだりすると、ひとつは向神経性作用があり、それは文明の時代にはそぐわない、風俗として好ましくないという見方がひとつだったと思うんです。もうひとつは、石油が中心の国際経済の中に日本の産業を組み入れていこうという考えがあったんだと思います。石油からさまざまなものが作られるようになり、どんどん麻の利用は少なくなっていきました。

 現在、日本国内での大麻の栽培は、伝統的な用途にごく少量が栽培されているだけになっています。農林水産省のデータによりますと、1950年に繊維収穫と種子収穫の合計作付面積は4049.2ヘクタールでしたが、1996年の作付面積は12.4ヘクタールにまで減少しています。
 日本では古くから麻を大切に扱い、上手く利用してきました。また麻、特に大麻は、日本古来の神道で重要な位置を占めてきました。悪いものを浄化する意味で使用され、麻が日本の伝統文化の中で重要な役割を果たしてきました。このことは、もっと知られていいことだと思います。
苧麻(ちょま)
(つづく)
 『麻』ひとくちメモ
 7世紀の日本では、律令制が確立され、「租・庸・調」という3種類の税が定められました。毎年、各地方ごとに絹や綿などの物産を納める「調」の中には麻布もあり、重要な税の一つでした。奈良時代に書かれた「常陸風土記」「播磨風土記」「出雲風土記」「大日本史」などには日本各地で栽培されてきたことが記されています。
 8世紀中頃の歌集「万葉集」には麻の歌が50首以上もあり、当時の人々と麻との関わりが詠まれています。古くから麻は日本人にとって馴染み深い、大切な植物だったことが伺えます。
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