奥田修三さん
安土西の湖観光

第5回

外いってあそぼう

 
2002年7月18日 菱川貞義
いっつもこわい目にあうけど
ワクワクするのをとめられない。
 
きょうはどこへいってあそぶ?
 
岩場へいって飛び込みしよう!
前より高いところから。
ないしょだけど、あれはほんとうにこわい。
 
そこの草でつくった舟で競争しよう!
家の前の小川がスタート地点。
どこまでもどこまでも追いかけていって、
ゴールは日が暮れたときなんだよね。
 
木登りしたら特別の景色が見られるんだ!
もっと上へ上へいきたくて無理をして、
おりられなくなって泣きべそかいたよね。
 
でもいまじゃ、
木登りしたらダメ、川に入ったらダメ、
その池は立ち入り禁止。
 
もう外であそんじゃだめなの?
もうあそぶ水や木はないの?
 
 
 
(奥田さん)
  これが弁天島ですよ。昔はほんとうに島だったんです。道なんかありません。いま、わたしが弁天さんの守をしてるんです。
 
 昔はどの家もクルマじゃなく舟をもっていた。どこへ行くのも舟がないと行けんかった。弁天さんへ行くのも田んぼに行くのも舟だった。情けないことに内湖も川もたくさん埋まってしまった。
 
 わたしら子どものころはプールもなかったけど、家の前には西の湖があって、昔は「勉強せえ」なんて親は言いませんから、家に帰ったらカバンをポーンとほって、そのまま遊びに行くんです。ちょっと大きくなると舟で出ていって、遠浅を沖のほうまで出かけていきました。そこで、みんなで舟をひっくり返して、舟の底をターッと走って水に飛び込んで遊んだり。水がきれいやったために、メダカとか小さな魚がいっぱい足をこづきに来るんですよ。魚は人間なんか気にしてないんですよ。よう手づかみしたんですよ。
 

 弁天さんはたった一本の松で覆われていたんやが、豊かな内湖が干拓されて、こうして枯れてしまったんですよ。

 

 


 弁天さんのことを調べた小学生が書いたものを見てやって。

あれっ?!弁天さんが水にうかんでる?!!
 ぼくのすんでいる近くに「弁天さん」とよばれるおみやさんがあります。昔の写真を見せてもらったら今、どうろのところが水なのでびっくりしました。この地図のように、びわ湖の小中湖にぽっかりとうかんでいたというのです。下の地図は、弁天さんが湖にうかんでいることがわかる地図です。
 
弁天さんのさおとびは、有名だ?!
 弁天さんが小中湖にあったときわかい男の人たちは、ゆう気だめしにおまつりの時さおとびをしていたそうです。一年かん、けんこうにすごせますようにと、ねがいをこめて。やくばらいのいみをこめてとびこんでいたのかな。

なぜ地つづきになったのか
 せんそうがはじまって食べ物がなくなってきた、しょうわ19年に小中湖の水をぬいてかんたくちにしたから今のように道がついているのです。水があったらさおとびをやりたかったな。
 
 (つづく)

奥田さんの西の湖・水郷めぐり
 ヨシ焼きをしたあとです。ヨシ焼きをすることで立派なヨシが育ち、水を浄化してくれるんですよ。

 いまはヨシは立ったまま焼いているが、昔はヨシを刈ってから、ちくちく何時間もかけて焼いていた。いまはヨシ焼きやのうてヨシ火事や。去年は水位が高くてヨシがきれいに焼けなかった。


西の湖の漁具と漁法(福沢常一さん)
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