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第6回 |
2002年9月12日 東恵子 |
近江八幡の「火祭」 |
滋賀県近江八幡市では、1月から5月ごろにかけて、市内のあちこちで祭りが催されます。その中でも代表的な祭りが、前回までに2回に分けて紹介した「左義長祭」と、「八幡祭」です。 日牟礼八幡宮(ひむれはちまんぐう)で行われるこの二つの祭りは「二大火祭」として1992年、国の無形民俗文化財に指定されました。 八幡祭は、初日の4月14日の「松明(たいまつ)祭」、翌15日の「太鼓祭」に分かれています。 |
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祭のいわれを調べてみると、豊臣秀次公がこの町を開く前の千数百年前からあるとのことでした。応神天皇(第15代天皇で、仲哀天皇と神功天皇の子。4世紀後半〜5世紀に在位していたと言われています)が近江(滋賀県)を訪れた際、舟で上陸したおりに住民がヨシで松明を作り、現在の近江八幡まで道案内をしたところから始まったといいます。 |
中小森の「松明祭」と「太鼓祭」 |
ここで紹介したいのは、わが町・中小森の多くの人が氏子になっている菅田神社の「松明祭」と「太鼓祭」です。観光客やアマチュアカメラマンが大勢訪れる日牟礼八幡宮の祭りのにぎわいはありませんが、町衆手作りの素朴さと信心深さ、そして勇壮さもちょっぴり伝わってきました。 菅田神社の今年の「松明祭」は4月6日に、「太鼓祭」は翌7日に行われました。祭りは中小森、赤尾、日吉野、白鳥、大森の5つの町の氏子が参加します。各町の氏子総代、神事係、青年団長ら役員が中心となって祭りの準備をします。 |
松明は大きく分けて3種類 |
ここで、「松明」プチ知識を紹介します。 ひと言で松明と言ってもいくつかの種類があります。私が参考にさせてもらった資料(滋賀県教育委員会「近江八幡の火祭り行事」)では、松明は地域によって呼び名が違うのに、形は同じということが多いと書いています。そこで、3種類を定義づけています。
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菅田神社の松明は、(1)の松明と(3)の大松明です。4月5日、各町の役員が集まり、午前中から午後2時くらいまでかけて作りました。(1)の松明は高さ約5メートルで菜種殻や乾燥したヨシで作ります。装飾の違いで雄と雌を象徴しているとか。祭りは豊穣や子孫繁栄を願う行事ですから、松明にもオスメス2種類があるのですね。奥が深いです。 |
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(3)の大松明は竹を一本中心に立て、内側をワラで固め、ヨシを三角すいに組んだもの。下方に向かって八方に広がっています。その形がネイティブ・アメリカンの人達が神聖な儀式をする時の建物「ロッジ」に似ていたので、「すわっ! 滋賀県とアメリカ大陸の海と湖を超えた儀式のつながりに関連があるなんて大発見だ!」と思ったのですが、今のところまるっきり関係なさそうです。 |
お祭りダイジェスト |
松明祭の神事は6日、午後8時頃から始まりました。 宮司の祈祷の後、巫女(みこ)が舞を奉納。各町の代表が境内に上がり、町の安全や豊作を祈るため神事に加わりました。次に、宮司の手により松明に神火を奉火しました。 今年は雨天のため仕掛花火は中止となりましたが、鎮守(ちんじゅ)の森の杉や松に燃え移りそうな勢いの炎の乱舞に、実家から訪れていた私の両親も大満足でした。 |
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翌日は太鼓祭です。 祭りの一週間前の土曜日、公民館にしまわれている太鼓を、町の若衆(祭禮団)12、3人と役員らが半日かけて組立てました。担げるようにと、担ぎ棒に太鼓を乗せ、竹飾りとミミと呼ばれる縄飾りを飾り、てっぺんに御幣という白い紙片を付けて準備完了です。 |
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町内練り歩いた「太鼓渡御(とぎょ)」 |
さて、当日の6日は、公民館に幅広い年齢の若衆が集まり、茶碗酒を飲み干して午前11時頃に「太鼓渡御」に向かいました。本来なら菅田神社に向かうところですが、今年は雨天のため中止となり、役員だけが神社に出向くこととなりました。 せっかく集まったのだから、ということで町内を練り歩くことに。若衆は通りの家々でお酒をふるまわれながら、威勢よく練り歩きました。家へ帰り着く頃にはお酒がまわってへろへろに酔っ払っていた人もいたとか(笑)。 |
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<お知らせ> 来る9月22日(日)、近江八幡市中小森町公民館で「第2回 中小森町文化祭」が開催されます(午前10時スタート)。 バザーや模擬店、ビンゴゲーム、手作りで遊ぼうコーナーなどのイベントがあります。今年からは敬老会(午前10時〜)もドッキングして、子供からお年よりまで楽しめそうです(なお、模擬店の食券は町内で先行販売されました)。 展示コーナーでは、熊沢蕃山先生資料展やふるさとかかし展が開かれます。恥ずかしながら当ホームページも展示してもらうつもりです。お近くの方はどうぞ足をお運びください。当日の模様は、次回に紹介したいと思っています。 |