第9回
2002年12月12日 東恵子

朝鮮人街道ものがたり2

「朝鮮人街道」でドンチャカ
 近江八幡の歴史にくわしい山中靖城さんによると、本願寺八幡別院(金台寺=こんだいじ、西別院ともいいます)でゴージャスなお昼ご飯を食べ(中官、下官は別の寺院。くわしくは前回をご覧下さい)、3時間ほどくつろいだのち、ドンチャカドンチャカとドラや太鼓、笛を鳴らして進んだそうで、一行の500人が完全に通過するのには約5時間もかかったのだとか。

 一行に中山道を通らせず、なぜ、わざわざ町中のわき道を通らせたのかというのにも理由がありました。
徳川家康が天下分け目の「関ヶ原の合戦」で勝利した後、このコースを通って上洛してからは「縁起の良い道」、「戦勝街道」と言われるようになり、徳川将軍以外の通行を認めていなかったのです。
 特別に朝鮮通信使の一行に道を開いたことは、いかに隣国と仲良くしたいかの表れでしょう。また山中さんは、繁盛している近江八幡の町を朝鮮の人たちに見せたいということと、一行のために町の人(近江商人)に大金を使わせようという思いがあったのでは、と言っていました。ほかにも、参勤交代など大名行列との、はち合わせを避けるためとの説もあるようです。
今はちょっぴり哀愁がある「朝鮮人街道」

朝鮮通信使がやってきた!
 さて、10月19,20日、近江八幡市で行われた「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会近江八幡大会」ですが、市内だけのイベントかと思っていましたら、「JAPAN KOREAフェスティバル2002」と銘打った一大全国イベントなのでした。昨年、ワールドカップサッカーの共同開催で盛り上がった日韓の交流を、今年も草の根的に広めようと企画されたようです。

 江戸時代の朝鮮通信使の基本理念「善隣友好・誠信交隣」をコンセプトに、現代でも通じる「お互いあざむかず、争わず、信を通じて交わる」精神で友好を築こうというものです。そして、朝鮮通信使の全国縦断リレーイベントとして「ニューミレニアムパレード」などが行われたのでした。
かっこよく行進する韓国の高校生たち
 パレードは20日、朝11時に始まりました。
 心配された雨もなんとか降らず、大勢の関係者の涙雨にならずにすんだようです。パレードには、近江八幡市と通信使が縁で姉妹提携を結んでいる韓国、密陽(ミリャン)市などから約500名が参加しました。
 先頭を切って行進したのが、韓国大邱市のシムイン高校生の伝統音楽隊です。


続いて出迎えた日本の藩主たちも行進しました。


長い長い行列の始まりです!

近江八幡市の川端五兵衛市長も代官役で参加していました


ひょうきんな「唐人踊り」
 朝鮮通信使がもたらした「唐人踊り」が伝えられている三重県津市分部町からも参加があり、道化にも似たひょうきんなお面をつけて曲芸を披露してくれました。

思わず笑ってしまう面白い顔、顔、顔

道端で始まった曲芸には人だかりができました

 朝鮮通信使が日本で最初に立ち寄ったのが長崎県の対馬でした。対馬・厳原(いずはら)町からも大勢の方が参加していて、さながら観光キャンペーンの様相。パレードで特産品を配るやいなや、鋭いおばちゃんたちが血眼になって飛びつき、あっという間になくなりました。私にはまだ「新婚さん」の恥じらいが残っているので、そこまではできませんでした。数年後の自分を見たようで怖かったです。
対馬の方々もやって来ました
 韓国、朝鮮の女性達もきれいなチョゴリ姿でパレードに花を添えました。また、市内の小学生たちが韓国の楽器などを演奏して、ほのぼのと友好の輪をアピールしていました。

鮮やかな色彩のチョゴリ姿の女性たちには男性のみならず、観客の女性もうっとりしていました

小学生も日韓友好に一役

 パレードの後は本願寺八幡別院に会場を移し、通信使のトップ・正使に扮した姉妹都市、韓国密陽市の李相兆市長から代官役の川端市長に親書が手渡され、末永い友好を誓い合いました。

いろんな街でパレードが
 韓国使節団の皆さんは全国の「ゆかりのまち」で交流に参加しました。この後も11月9,10日・静岡市、16,17日・千葉市、23,24日・栃木県日光市とパレードが続きました。千葉、幕張メッセがメーンイベントで、日韓のシンガーがステージを繰り広げたのです。知らなかったけど、意外と大掛かりですごかったんですね。

  近江八幡市の場合は、まるで市民イベントのような伝え方でしたので、スケールの大きさが全く伝わりませんでした。「朝鮮通信使」がもっとメジャーになるチャンスだったのに、少し残念な気もします。なにはともあれ、恒例の催しにしてもっと皆さんの関心を集められたら良いですね。

  約400年前に育まれた日本と朝鮮半島の友好と平和の精神は、これからもずっと守って、より密なものにしていかなくてはいけませんね。じゃないと、心を込めて接待し続けた江戸時代の人たちにもうしわけわけないですものね!