第10回
2003年2月13日 東恵子

「中小森暮らし」の今昔
 中小森町は、のどかな田園地帯。点在する竹やぶもまた、のどかさをかもし出します。今は1人一台のペースで自動車が普及し、近くにはなんでも揃うマーケットがあります。当たり前ですが、テレビにパソコン、映画、ビデオ等娯楽に事欠きません。
 昔はどうでしょう?

米作りに祭り、なたね作りに縄ない
 昭和30年代の中小森町の四季の営みについてお母さんに聞いてみました。
 「春は、なたね油をとるために植えてるなたね(菜の花)の土寄せをしたなあ。土寄せいうのは、丈夫な苗にするために根元に土を盛ることやねんで。5、6月に黄色い花が一面に咲くんよ。4月の「太鼓祭り」が終わると、田植えやなあ。今は会社勤めの人が多いから5月の連休に田植えをすることが多いけど、昔は6月に植えたもんや。

 夏は、田んぼの草取り。なたねの収穫。家で女は布団の縫い返し。夏場に糊付けしたら布団がピンとはるさかいなあ。秋は、9月末から10月にかけて、米の収穫やねえ。カマで刈って一週間ほど「はさがけ(竹で組んだ台に収穫した稲をかけて干す)」。朝3時ごろから足踏み脱穀機で脱穀するんやで。コンバインがなかったから、ほんにエラかったわー。

 米の収穫が終わると、11月ごろにまた、なたねの種まきや。冬は、その年の稲わらで俵編みや縄ないをする。餅をついてアラレやカキモチを作っておやつをこしらえたりしたなあ」。

 お母さんは忙しい毎日に追われ、改めて昔を振り返ることなどあまりなかったので、私の問いに、懐かしそうに目を細めながら思い出してくれました。
今では休耕田に麦を植えることがあります。この写真は6月の麦刈りの様子です。

8月には田芋の黄色い花が咲いていました。写真の田芋は近所の森中さんちのもの。花が咲くのはとても珍しいのだそうです。甘い香りがします。

黄金色に色付きはじめた9月の稲穂。


「講」コミュニケーション
 決して豊かでない時代。みんなの楽しみはなんだったのかと考えました。
 中小森町には「講」という集まりがあります。意味を調べると、「ある目的を持って集まった集団で、仲間のきずなを強める互助グループ」と書いていました。もとは農民たちが農作業の合間に豊作祈願のためなどに集まり、親睦やコミュニケーションを図っていたのでしょう。ささやかな楽しみだったに違いありません。中小森町では今も「行者講」「日待講」などが行われています。

中小森町の行者堂にある「役行者像」。

 行者講は、修験道の開祖「役小角(えんのおずぬ、役行者ともいいます)」を信仰する講で、中小森町100軒中、25軒が入っています。一時とだえた行者講ですが、10年ほど前に復活。寄付でりっぱな「行者堂」が再建されました。毎月6日の行者さんの命日にお堂に集まり、般若心経などのお経を唱えています。(運営はその年の当番になった人がします)
 1月6日には、行者講の新年の行事、「初行」がありました。私の実家のある奈良県御所市には、役行者が生まれた「吉祥草寺(きっしょうそうじ)」があります。奈良県の葛城山から大峰山までひとっ飛びしたという役行者をカッコイイ「スーパー超能力者」、とひそかにあこがれていた私でしたから、初行にお参りするお母さんのあとを追いかけていきました。
今ではあまり見かけなくなった円筒形のストーブが大活躍の冬の行者堂。

新年6日の「初行」へ
 6畳と8畳敷きの間があるお堂の中には、行者像がまつられ、まわりには花やお酒が供えられていました。近所のおじさんも、この日は袈裟(けさ)を羽織って山伏みたいです。みんなで「般若心経」などのお経を唱えたあとは、当番の人たちが作ってくれたお漬物やなます、鏡餅を切って入れたぜんざいを頂きながら、談笑タイム。まだ知り合いのいない私には、お母さんだけがたよりです。とりあえずなんでも笑ってうなずいていたのは言うまでもありません。最年少の参加者ですから、珍しがられ、喜んでいただいたようでした。ただ、正座の苦痛に耐えきれず、その日以来参加していません。

近所のおじさんが山伏に見えました。

手作りのお漬物やなますの入った皿を回して、少しずついただきました。いろんな集まりでお漬物は大活躍します。身体も心もあったまるぜんざいも準備してくださいました。


次回に続きます。注・このレポートは昨年の2002年に書きためていたものです。